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偽善者

25.02.2020

「まずば自分が満たされよう」

「まずは自分が幸せになろう」

と発信していると、

 

「そんな利己的な」とか、

「もっと他人に愛を」とか、

言われることもあります。

 

「自分を満たすのは人を助けるためなのだとしたら理解できます!」

とか。

 

 

なんでそんなに、

「人に」にこだわるんでしょうか?

 

利己的がダメだということは、

もっと他人にやさしくしなさい、

もっと人を助けなさい、

ということなのでしょうが、

 

それは、

「自分がしたい」

「自分がそうせざるを得ない気持ちになる」

「自分がそれでいい人になれる」

「自分がほっとけない」

という、

「自分が」なんですよね。

 

それはつまり、

「まずは、自分が満たされたい」

「まずは、自分が幸せになりたい」

なんですよ。

 

「まず」じゃなかったとしても、

結局は、

「自分が気持ちいい、安心できる、幸せな気持ちになる」

です。

 

それは、

「自分のことばかり考えることはいけないこと」

という、

「誰かの教え」による「ジャッジ」に恐怖で縛られているのです。

 

それを、

早く自覚したほうがいいと思います。

 

「人を助ける」ことが、

「自分を満たす手段」だと気付いたほうがいいです。

 

だって、

それが「幸せ」なんですから。

 

「愛情」と「罪悪感」を、

勘違いしてはいけません。

 

だから、あまり、

「人のため人のため」という人は、

 

私には逆に偽善者、

罪悪感と恐怖に包まれた嘘つきに見えるのです。

 

また、

「あなたのために」

というお節介にもつながります。

 

自分を満たしていたら、

いつの間にか人助けになっていた。

 

人を助けていたら、

いつの間にか自分が満たされていた。

 

情けは人のためならず。

 

自分のために生きること、

自分を満たすこと、

自分を優先することに、

罪悪感を持ってる場合じゃないのです。

そんなものは持たなくていいのです。

 

それは、

罪じゃないのです。

 

そんな罪悪感を

持つ方が罪です。

 

自分を満たすことが、

最大の人助けなのかもしれないのに、

「あの人を助けたい」なんて

実は、

超上から目線なのだから。

 

そして、それを、

分かっていながらやればいいのです。

 

それを、

優しさと言います。

 

 

 

以上。

 

 

神鷹のコラムでした。

 

 

 

 

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