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12.01.2020

個人的に「運」とか「運命」について研究していた時期があって、

いわゆる「運が良い人と運が悪い人の違いってどういうところで発生するのか」と、

まったく科学的に説明できないことに対して説明言語を持ちたいと考えたことがありました。

 

村上春樹さんの『羊を巡る冒険』(講談社)の中に「羊つき」という言葉が出てくるのですが、

それは物語の中である平凡な科学者に「精神体」とか「憑依」みたいな感じで、

ある神的な力を持った羊がその科学者に憑いてしまうんです。

それで、

その羊が憑いた人間が一種神がかった才能と先見性を発揮して世の中で成功を掴んでく。

そのおぞましさと面白さが『羊を巡る冒険』の中核を担う気がして大好きなのですが、

それは本当に現実にあるのかっていう疑問はあるのです。

 

織田信長は第六天魔王を自称したし(もちろん当時の中央仏教・公家支配の政治的状況があったといえ)し、

昔の哲学者や宗教家、

そして政治家も含めて、

「夢を見ていたらご神体みたいなのに出会った」という話ってけっこうあって、

それってどこまでが錯覚か。

それともある種の異様な精神異常状態に入ってそういう「現実」を見ていたのか、

そういうのがどこまで“現実的に”あったのかってすごく今でも興味があるのです。

 

怪しい用語ではなくて、

「あの人はオーラがある」という使われ方としての「オーラ」って、

やはりタレントさんとかでもテレビでみるよりも、

実際に会った時の“芸能人”ってされる人のオーラって一般人とどう違うのか。

その人たちを「突き動かすもの」って一般の人と違うのか。

そういうのって何なのか。

 

そして、

昔の人はたとえば台風の中に「龍」を見たりとか、

自然現象や天災などにある想像上の動物の姿を見出したりした。

 

そういうのって全部オカルトとも言えるし、

下手をすればすごく危ない新興宗教的な世界になってしまうし、

でも、

「運命とか不思議な話ってあるのか?」という意味で古今東西多くの人の関心を惹きつける話でもある。

 

それを「研究」という形で気長に見つけていきたいと思うのが願いで、

それでインドに行ってみたりしたのですが、インドに行って「石と一体化している」という不思議な瞑想をずっとやっていたのです。

それをなんとなく日本に戻ってきてからもずっとやっていたら、

何か人に関しても、

「その人を動かす根源って、その人の意思じゃなくて、もっと違うものもあるんじゃないか」

と思うようにもなってきました。

もちろんそんなことは「僕が勝手に思う主観」であって、

事実と言い切る根拠なんてないし、

するつもりもないのです。

 

ちょっとこういう話をしたいのですが、

 

例えば、

ある会社に勤めていてはじめの3年間はすごく調子が良かった。

自分自身にモチベーションもあったし、

失敗もあったかも知れないけど、

「燃えれば燃える程」に成果の実感が感じられていた。

でも、

4年目に入ったときに「勢い」が全部で通用しなくなり、

上司も変わったりして「今まで見てきた風景が突然色褪せて」見えるようになってしまった。

何か自分を突き動かしていたものが自分から離れてしまったような気がして、

なんとなく場所や環境を変えたいと思ってきた。

そういう状況の中で昔から付き合いがある親友にあった時に、

「なんかさ、あなた今昔のあなたじゃなくない?話を詳しく聞いていないからよくわからないんだけど、あなた環境変えた方が良いんじゃないかな」と言われた。

その親友は全然状況を聞いていないけど、

今のその人の環境にいたら輝きを失っていくってなんとなく雰囲気で伝わってきちゃったから直截(ちょくさい)に無責任に伝えてしまった。

 

そういう雰囲気って何なのか。

それを技術として、

「人の雰囲気をカラーとして換算する」という勉強を始め、

そして、

龍がつく人に何人か会いました。

 

すごい怪しい話で恐縮なのですが、

この話をちょっと定期的に続けていきたいと思います。

 

 

 

以上。

 

 

神鷹のコラムでした。

 

 

 

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