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面白さが含まれていない場所は正義になってしまう

12.01.2020

心に固く正義を抱いている時は、

必然的に誰かの無知を攻撃し出します。

 

「こんなこともわからんのか」

という怒声が含まれてくるのです。

 

正義は、

何かを伝える上ですごい後ろ盾になってくれます。

 

クスッと笑えるかどうかってけっこう大事です。

 

私が個人鑑定をやっていた時、

やはりかなりボロボロの方はいらっしゃいました。

 

そういう方は、

時間があればあるだけ

「自分がいかにひどい目にあったか」

ということを話し続けます。

もちろん、

それは事実が含まれるし、

本当にひどい状況にあった人はいます。

 

でも、

そこで自分自身を救えるかどうかって、

最終的にその自分の状況に対して「クスッ」て笑えるかどうかなのです。

 

「まー、本当にひどいわ。笑っちゃう」

って。

「自分を笑えちゃう」ってすごいことで、

その時に「自分のずるさ」もわかっていないと自分のことなんて絶対に笑えないんです。

「まー、状況も色々悪かったけど、私自身悪いこともあった」って。

そういう段階にいって初めて笑える。

 

だからこそ、

そういう笑いって、

今までの自分の人生の一歩を大きく変える一歩になります。

 

もちろん、

こんなことを無理強いしません。

 

「今ひどい人も、笑おうよ!」

なんてメッセージはそれこそ「正義」だし、「そういう正義」は暴力になるからです。

「お前面倒くさいから、笑え」

っていう強制でもあるから。

 

殺気や嫌な気のするものは逸らすという、

ある武道の達人が書いた本がすごく興味深くて今でも覚えています。

それは、

街に出て変な人に絡まれた時に、

その人はいきなり

「お母さんは元気ですか?」と聞くそうです。

そうすると、

相手はきょとんとして、

こっちに暴力をふるう感情を一瞬忘れてしまう。

その隙に「じゃあ」と言ってスタスタその場から去ってしまう。

 

武道は、

喧嘩に強いとか、

暴力によって他人をコントロールする術じゃなくて、

 

「色々な不都合や理不尽があるフィールドから、上手く生き延びられるかを学ぶサバイバル術」

としての面があります。

その武道の基本は多分

「殺気や嫌な気から、自分をそらす」

という点があるのです。

 

正義は硬い。

硬く身を閉ざして前進して、

相手との「勝ち負け」を決める。

 

でも、

私は正義よりもフラフラして

「あ、面白そう」を発見していく方が好きです。

「あ、気づかずに入っちゃったけど、ここはサイのテリトリーだから深入りする前に出なきゃ」とか。

フラフラしないとそういう感覚って身に着かない。

 

何か嫌な気配がするものに絡まれた時に、「あー、大変そうだなぁ」と、

あえて自分を「他人事」のように見る。

 

「なんで私が!?」

と、

その不安とか怒りの感情に没入してしまうと、

そのネガティブな場所にずっと入ってしまう。

 

「いやぁ、どうしようもないな。ははは」

と笑えるかどうかって、

重力が重い場所に入らずに済むための、

大人として生きるためのエチケットとか礼儀だと思っています。

 

 

 

以上。

 

 

神鷹のコラムでした。

 

 

 

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