© 2017. kamitaka BLOG all right reserved

話し合い

12.01.2020

これは私自身の話になってしまうのですが、

今まで生きてきて「話し合う」ということをあんまりやったことがなかったのです。

 

自分自身のことを他人に相談する文化がなぜかなく、

いつも家族も含めて報告が事後報告だったのです。

 

ただ、

来年の僕の目標のひとつが「よく他人と話し合うこと」なのです。

 

そういう意味で今日のコラムは、

 

「なんで今まで他人と話し合うことに意味を感じなかったのか。そして、なぜ他人と話し合おうと思い始めてきたのか」

について書いていきたいと思います。

 

私が今まで生きてきてあまり他人に自分のことを相談しなかった理由。

それは決して自分が頭が良かった人間ではなく、

むしろかなり学業成績など悪かった人間なのですが、

「ニュートラルな人ってなかなかいないよな」って心の中で感じていたからだと思います。

 

私の師のひとりの先生が何かで、

「人は自分の中で解決できていない問題に向き合った時、それが他人事であったとしても“感情的になる”」

という話をされたことがあるのです。

 

たとえばなんですけど、

昔付き合っていた人に浮気されて自分の恋人に別れを告げられた人がいたとします。

その人がもし友達に、

「なんか彼氏が浮気していそうなんだよね」と相談を持ち掛けられたら、

かなり高い確率で冷静に答えることなんてできないと思います。

 

「そんないい加減な人はあなたが傷つかないように先に別れてしまった方が良いよ!」

とか、

その相談を持ち掛けてきた彼女の姿に過去の自分の姿を重ね合わせて、

昔の自分の復讐や切なさを共に感じ取ろうとしてしまう。

 

それとは違って、

相談事とか自分の話を相手に持ちかけた瞬間から「俺のターン」とか「俺の話」が始まってしまう人っているじゃないですか。

そういう話を聞くのはもちろん楽しいんだけど、

切羽詰まっている時に「俺は昔色々な修羅場を寝ないで乗り越えた。たとえば2013年の春」とか、

そういう話をずっと聞き続けるのはキツい。

 

「人は自分が解決できていない問題に対して、かなり感情的な、パーソナルな影の表情を出す」

 

それは今でもすごく実感していて、たとえば占いの現場でも、

相談者が感情的にモヤモヤが溜まっていて、

「これは絶対に聞きたい」と思うことを口にしている時って、

顔の表情が硬直して、

「その問題に対しては絶対に一歩も引かないぞ!」という一種の戦闘姿勢になっていることが多かったりします。

 

「感情的にならずに他人の話を聞く。そして自分の話をする」

 って多分訓練してできるようになるかというよりかは、

解決できたことも、

解決できないことも、

その両方を自分なりに経験してこないとできないんじゃないかと個人的には思っています。

 

私の話に戻ると、小さい頃や青年期というのは、

その「感情をぶつけられること」がどうも苦手で、

「後から言えばいいや」と思ってきてしまったことは事実なのです。

 

でも今、歳をとってきて

「自分も含めて人はそれぞれ解決できない背景を抱えている」となんとなく知ってからは、

それを込みで他人の話を聞いてみたいと強く思えるようになりました。

だからハッキリと言って僕が言うことが否定されたり、

反対されたりしても「はぁ、そう思えるんだ! すごく良い意見だ。面白い」って思えるようにもなってきてしまった。

 

決して上から目線とか、

余裕を持って聞いているってわけじゃなくて、

なんか話せることが嬉しい。

 

そして多分、

ニュートラルな大人ってなんでも「面白い!」って、

良い意味で良い加減に興味を持って相手の話を聞く人だと思うのです。

 

自分の意見に同調してくれる人しか周りにいなくなってしまう方が寂しい。

 

だからもしよければ、

ちょっとうざいと感じられるかも知れないのですが、

私はこれから先も「ちょっと意見を聞きたいです。

私と意見が違っていてくれた方が良いです」と聞いちゃう大人になっていきたいです。

 

 

 

以上。

 

 

神鷹のコラムでした。

 

 

 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload