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学び

31.03.2019

なぜ自らが学び、
そして伝えるのかといえば、

ソクラテスの言葉を借りれば、
『人生をより“よく”生きるため』
です。

 

このより“よく”のよくは、
人によっては『幸せに』とか『豊かに』と
置き換わります。

 

ソクラテスは、
『より“善く”生きる』と言い、
善には、
『徳』というなんとも言葉に表しにくいが

大切な概念を含ませています。

 

徳高き生き方をするためには、
1つが『魂への気遣い』ということを述べています。

 

魂という人間の本質は、
善なる行いがどんなことかを、
肌感覚で感じることができます。

 

根拠は説明できなくても、
なんとなく『心地良い』ということが分かります。

 

そんな自分も喜んでいて、
相手も社会も喜ぶような行いを“善なる行い”として、
そんな心地よさを感じる『より善く生きる』ために、
知識というものが必要になるとソクラテスは言います。

 

学校教育で培う『学び方』は、
どこかに『正解』という答えがあって、
その答え探しを求められてきました。

 

ですが、
『より善く』ということがテーマになると
誰もに共通するような答えなんてものは存在しません。

 

それは、
一人一人、現実は違うし、
人生が違うからです。

 

答えがないとすると、
学び方そのものが変わります。

 

答えを求めるのではなく、
『選択肢を増やす』という視点が

知識を得ることにおいて重要になります。

 

知識が増えると、
例えば、
ペットボトルを横からしか見れなかったものが、
真上から見て丸に見えたり、
斜めから見て、
別の形に見たり、
キャップを開けて、
中身を確認したりと、
いろいろな視点が得られるということになります。

 

これは、
なるべく世界を詳しく見ていくことにつながります。

 

例えば、
そこに木の机が置いてあったとして、
机というものを知らなければ、
ただの4本足の切り株に見えるかもしれません。

 

机という認識ができるということは、
目から入った情報に、
今までの経験した知識が組み合わさり、
机の持つ機能を導き出すことで、
初めて机として最大限の利用をすることができます。

 

そこに知識による『善く生きる』ことが生まれます。

 

仮にも、
友達の家に行って、
いきなり机の上に駆け上がって、
飛び跳ねたり腰を下ろしたりはしなくなります。

 

それは、
机とはどういうもので、
どういう利用が、
自分にとっても相手にとっても心地が良いかを知っているからです。

 

仮に、
机に駆け上がって踊りたいという欲求があったとしても、
ただその衝動を我慢するのではなく、
心から『お互いに快く思える選択』が出来るようになります。

 

ですから、
知識が増えるということは、
選択肢が増えるということによって、
それはある意味、
『我慢』から解放されていきます。

 

我慢を感じる場合は、
その分野の知識が不足していて、
自分にとっても、相手(世界)にとっても心地の良い選択肢が

分からない状態にあるということです。

 

知識が増えれば、
その選択が見える可能性が開かれます。

 

一番分からないし、
不思議なのは、“人の心”です。

 

まずは、
自分が心地よいと感じることが大切です。

 

そこを外してしまう訳にはいきません。

 

その上で、
みんなもより善くなる選択が導けるかということが、
心に無理の無い人生を創っていきます。

 

少しずつでもチャレンジしていくことで、
自分にとって、
本当によりよい生き方は
創られていくと感じます。

 

よりよく生きるための“選択肢を増やすための学び”です。

 

悩みや我慢が深い場合は、
一人でははなく、
一緒に考える人がいれば、
それだけ選択肢は増えます。

 

以上。

 


神鷹のコラムでした。
 

 

 

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