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コミュニケーション

09.03.2019

『これこそが良いことだ!』と自分の価値観を押し付けていくのを、
絶対主義と言います。

 

その昔、
『神様の言うことは絶対だ』
『自分の国が絶対だ』ということで、
争いが絶えませんでした。

 

そして少数民族の文化は、
どんどん飲み込まれて行きました。

 

でもこの絶対主義は、
常に自分が正しいという価値観の押し付けで、
排他的になっていくので、
争うことになります。

 

そこから、
『それぞれ素晴らしい』
『お互いに認め合いましょう』という、
相対主義が叫ばれるようになりました。

 

これで争いを無くし、
平和な世の中には向かってきています。

 

ただ、
コミュニケーションの視点から見ると

まだまだ国境を強固にしていくような、
あっちはあっち、
こっちはこっち、
という空気感になっています。

 

相対主義は、
本当のところ、
相手の文化を認めているフリをしながら、
自分の絶対を守るために背を向けた状態だと感じます。

 

例えば、
私は虫を食べることはできません。

 

でも、
虫を食べる文化を否定はしていません。


そんな感じで、
表面的には相対主義的なんですが、
『でも私は食べませんよ』という
絶対的な部分で拒否しています。

 

これは、
自分と相手の世界を分けている状態です。

 

本当にコミュニケーションを取りたければ、
興味関心を持って相手を理解する必要があります。

 

私は、
虫を興味を持って食べてみる必要があるんです。

 

そうすると、
案外美味しいかもしれませんし、
『これより私の文化の『お餅』の方が美味しいんで、こっちを今度は一緒に食べませんか?』と、
お互いの距離を縮めることができる提案ができます。

 

世界を擦り合わせていくことができるのです。

 

ただし、
問題は、
虫を食べるということができるかということです。

 

ここは、
自分の観念を疑う必要があります。


どこかの経験上で、
『これは違う』と自分は決定付けてきています。

 

もちろん、
それが自分の感性であり個性になるので、
これはこれで重要です。

 

この軸は失ってはならないのですが、
その上で、
それを乗り越えて、
観念を疑って、
もう一度挑戦するようなことが必要です。

 

これが、
もし相手が心から惚れた大好きな人だったら、
その勇気とチャレンジ精神で、
世界を合わせにいくことができるでしょうが、

実際は、
認めながらも本当は認めていないという、
『相対的、絶対主義』に陥っている世の中です。

 

まさに、
それはその人との距離感が関係しています。

 

どれだけ世界を合わせて行きたいか
を、考えておく必要があります。

 

そして、
それをお互いに共有しているかも大切です。

 

基本的に、
人には、
一人でいたい男性性と、
みんなでいたい女性性がありますから、
そのバランスを見ながら、

ちょうど良い距離感で、
通じ合えるといいです。

 

相手の世界を受け入れるなら、
自分の軸を持ちつつも、
価値観を疑って、
相手に興味関心を抱きながら、
世界をすり合わせる感覚が必要ではないかということです。

 

実際は複雑で難しいこともあるでしょう。


こんなに分かり合えないのかと思うこともあるでしょう。

 

それでも、
その先にはとても心地よい関係性が広がって行きますから、
本当に大切な人には、
相応のエネルギーを掛けていきましょう。

 

コミュニケーションは奥が深いです。

 

以上。

 


神鷹のコラムでした。
 

 

 

 

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