© 2017. kamitaka BLOG all right reserved

他者を受け入れない気持ち

10.01.2019

私達は、
自分と違う人は受け入れないし、
排除していきたいという気持ちがやっぱりあります。

 

自分と同じような人と付き合っていた方が無理は無いし、
争いも生まれないし、
やっぱり楽に生きれます。

 

でも、
自分と同じ人間なんていない訳で、
それは、
一人一人が違う世界を持っているということです。

 

ですから、
どこまでお互いの世界を共有できるのか。


それがコミュニケーションの本質です。

 

この、
『自分と他人は違う』ということを前提に進めることが、
まずは大切なスタンスです。

 

逆に、
同じ人間だというような想いがあると、
違うところばかりが目に付いてきて、

そこに合わせなきゃならない自分が出ると、
心に無理が生じてきます。

 

それでは上手くコミュニケーションが進みません。

 

まずは、
自分と他者は違うというスタンスで始めることが必要です。

 

『違うことを前提にする』ことで、
他者を通して、
その違いから自分を見ることが出来ます。

 

ただし、
そこから見えてくる自分の主観が正しいものとは限らないわけです。

 

昔学んだ、
カント哲学の言葉に、

『内なる格律を、普遍的立法に合うように行為せよ』

というものがあります。

 

さっぱり何を言ってるのか分からないのですが、
私なりに言いかえると、

『自分が主観的に正しいと思っている個人的なもの(内なる格律)と

全人類に当てはまるだろう正しい道徳観(普遍的立法)が

合うようにしなさい、でないと独りよがりのものになります』

ということが、カントの言い分です。


自分が良いと思うことと、
みんなが良いと思うことが一致するように考えていきましょうということです。

 

結局、
他者と上手にコミュニケーションを取っていくことにおいて『受容』、
相手を受け入れるということが、
お互いに求められるとても大切なスタンスです。

 

これはある意味『多文化主義』的なものです。

 

例えば、
相手が虫を食べる文化を持っていたとしたり。

 

そうした時、
まず他者との違いを『受容』できないと、

「そんなの食うやつは自分と同じ人間ない」と排他的になって争いになります。

 

多文化主義とは、
『そういう文化もありますよね』とまずは受け入れるスタンスです。

 

ただし、
そこから方向性が分かれます。

 

『でも、私は食べないんで、あなたとは世界を共有できません』となるか、

『あなたのことを知りたいので、チャレンジしてみます』となるか、

に分かれます。

 

それは、
未来どこまで一緒に歩みたいのかという
長期的な視点があるかどうかです。

 

私の主観(内なる格律)は虫を食べません。

 

でも、
これがもし大好きな子で長期定期に付き合いたいし、
「世界では、虫って食べるよね。日本だってイナゴとかあるじゃない」
という、
全人類に当てはまるだろう正しい道徳観(普遍的立法)を解説されたら、、

間違いなくチャレンジします。

 

そうしたら以外に美味しかったりするかもしれません。

 

世界が広がるかもしれません。

 

そして、
たぶんその子との仲はかなり良くなることでしょう。

 

そうやってお互いの持つ世界を共有できるほど、
コミュニケーションは深まっていきます。

 

まとめると、

まずは他者は同じだという認識を外し、

その上で『相手は違う』ということを認め合い、

自分の主観と、
世界の道徳観を照らし合わせながら会話をしていく。

 

そして、
どうしても合わない違う世界観を繋げていくかは、

長期的なお付き合いをしたいかどうかによって判断が分かれる。

 

ということになるということです。

 

以上。

 


神鷹のコラムでした。

 


 

 

 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload