© 2017. kamitaka BLOG all right reserved

欲張る

20.11.2018

自分が何かを欲しがったり、
何かを得たいという感情を、

『我欲』と言います。

 

我欲は、
自分の利益のみ、
自己満足を求める気持ちと辞典には載っています。

 

仏教でも、
我欲を捨てなさいということを
言っていますが、

私は、
その欲しがるという気持ちは、
とても大切なことだと思っています。

 

『欲しい』という感情は、
まさに直感的に湧き上がります。

 

これは、
マーケティングでも言われることですが、

人は直感で欲しがり、
理由は後付けで考えます。

 

この直感的に欲しいと思ったということは、
自分にとって何かしら大切なメッセージが

あるということなんです。

 

ですから、
まずお伝えしたいのは、

『欲』は悪いことではなく、

むしろ積極的に関わって欲しいと思っています。

 

ただ、何でもかんでも、
『やりたい放題』が良いわけでもありません。

 

仏教で『我欲を捨てろ』とさとすのにだって、
訳があります。

 

心理学者マズローは、
欲には大きく分けて2つあると言っています。

 

それが、
『欠乏欲求』と『存在欲求』です。

 

欠乏欲求とは、『足りない』という時に出る欲求。

 

まず、お腹が空けばご飯が欲しい。


寝不足なら、寝たい。


という生理的なものから、

他人と比べて、
『私にはこれが足りない』と思った時に

ムクムクと出てくるような欲求です。

 

とにかく『足りない、、満たしたい!満足したい!』という時は、
欠乏欲求が働いています。

 

一方、存在欲求とは、
自分の存在に関わる欲求です。

 

『自分とは、どういう生き方をしたいのか?』
そこに向けて何かをしたいということが、
存在欲求です。

 

この二つの欲求の一番の違いは、
『時間軸の長さ』です。

 

欠乏欲求は、
とにかく短時間で満たしたいと考えます。

 

逆に存在欲求は、
『人生を見通して、必要だと感じる』ものです。

 

仏教が否定する『我欲』は欠乏欲求の方です。

 

犯罪を犯してでも、
手に入れたいことは、
欠乏欲求の何ものでもありません。

 

人生を見通して、
自分の生き方を見た時、
存在欲求に根ざしていれば、
犯罪ではなく、
『共存共栄』に思考が働いていきます。

 

自分が何かを欲しがった時、

実は、
この『欠乏欲求』と『存在欲求』の両方が入っています。

 

もちろん、
どちらかにウェイトが偏ってはいます。

 

そして大抵は、
欠乏欲求が大きいです。

 

私が目を向けたいのは、存在欲求の方です。

 

ちなみに、
欠乏欲求の代名詞が『お金』です。

 

欠乏欲求は、お金さえあればほとんど満たされるからです。

 

自分の生き方、
自分という存在のあり方は、
自分と対話する時間を持つ必要があります。

 

その上で、
現実的な活動を実現するために、
お金が必要になります。

 

ライフワークをビジネスとして組み立てる必要も出てきます。

 

ですから、
お金が先行し、
お金のために活動や仕事をしているという状態は、
欠乏欲求で動いている割合が大きく、

自分の想いが核となって仕事に取り組んでいるという、
『ライフワーク』ですが、

ライフワークを生きている時は、
存在欲求の方が割合が大きいです。

 

ですから、欲を否定していくというよりは、

欲の正体も見極めながら、

自分の人生に活かすことが必要だと思います。

 

私は、
誰かと比べて欠乏欲求に浸るのではなく、
存在欲求に根ざした生き方をしてほしいと思っています。
 
欲を我慢したり、
捨てるのではなく、

その欲しがった自分を認めた上で、

『欠乏』なのか『存在』なのかを見ていくことが
必要だということをお伝えしました。

 

そして、
存在欲求に想いを馳せて手に入れていきましょう!

 

以上。

 


神鷹のコラムでした。

 

 

 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload