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カルマ

19.10.2018

『悟り』とは、
『恐れ』を克服した自分になる事、
いわば、
人生を新しくスタートすべく、
生まれ変わる事だと言えます。

 

『恐れ』を生み出すのは、
皆様が生まれてから、
これまでに経験してきたこと、
その中で貯えられてきた膨大な記憶情報、
言葉を変えると『カルマ』と呼ばれるもので
す。

 

『個性』、
『魂の質』、
『運命』
と表現されるものは、
すべて、
この『記憶情報の在り方』のことだと言えます。

 

潜在意識の中の思考とすら呼べないような純粋な『情報』こそが、
皆様の人生に何をもたらすのかを決定しているのです。


それは、
皆様が認識するあなたの現実を、
どう形作るのかという意味でもあり、
また、
その現実から、
皆様が何を経験するのかという意味にもなり、
さらに、
それらの経験を受けて、
あなたがどう感じ、
どう考え、
どう行動するのか、
ということまで、
すべてが『支配』されているのです。

 

これが『運命』や『カルマ』と呼ばれるものの正体です。

 

前世の記憶や経験が作用するわけでもなく、 (自分以外の存在という意味での)
神の意志もありません。


言うなれば、
自我を超えた本当のあなたが望んで皆様のもとに運んでくるものを、
皆様は人生で経験するのです。

 

『カルマ』は、
自我が形成される、
つまり物心がつく6歳くらいまでの人生経験が

コアとなっています。

 

自我というものは、
『世界』、
つまり自分以外の存在をある程度認識できるようになってから、
それらとの関係性から『自分自身』というものを定義して創られます。


つまり、
6歳くらいまでの間に経験すること、
そこからインプットされた情報をもとに、
自分はどういう人間であるのか、
という認識が生まれるのです。

 

必然的に、
その時期に最も関わりの深い、
両親との関係が、
『自我』
というプログラムの反応パターンの傾向を決めることになります。

 

自我が生まれて以降は、
経験する現実のあるがままを認識するのではなく、
『自我』というフィルターがかかった状態で、
物事を認識するようになります。

 

この『観念』のフィルターを通して経験する現実は、
過去の記憶の中に記録された情報を『再生』している、
と表現することもできます。

 

自我がある程度確立されて以降は、
同じことを経験しても、
その人の『個性』によって、
それぞれ違った受けとめ方をするのです。

 

親に愛されなかった、
という記憶情報(カルマ)を持つ人は、
人生の中で接する他の人たちからも、
『愛の欠落』というものを見出だすことになります。


友達やクラスメイトの何気ない言動を見て、

『自分が愛されていない』という証拠を見つけてしまうのです。


これは、
潜在意識下に貯えられた、
『親に愛されなかった』
という記憶を、
周りの人たちに「投影」している状態、
と言えます。

 

これが、
記憶の再生、
カルマに囚われたパターンに生きる、
ということです。

 

この事は、
同じ世界を観て、
違う現実を経験するとも表現できます。

 

このように、
潜在意識内の記憶情報は、
人生のあらゆることを決定づける、
すべての『種』であると言えます。

 

ここで、大切なのは、
この『カルマ』が人生の「内」に在る、
という「認識」をもつことです。

 

もし、
皆様が『カルマ』というものに囚われ、
望まない現実を生きているとしても、
そのカルマは、
前世やあの世といった人生の外側にあるのではなく、
皆様が生きる、
皆様の人生の中に、
「存在」するものだということです。

 

このことはつまり、
カルマとは決して、
『どうしようもないこと』
ではないことを意味します。


手の届かないものではなく、
皆様の『行い』(行動)によって、
いくらでも変えていけるものだということです。

 

カルマとは記憶情報、
心や潜在意識と呼ばれるものです。

 

これらは文字通り

『情報』によってできています。


そして、
『情報』は常に流転変化し続けるモノ、
もっと言えば、
『循環』しているものなのです。

 

皆様が、
どういうことを経験するのかによって、
皆様のカルマはその姿を変え続けていくのです。

 

その中で、
コアにあたる部分、
つまり、
皆様が物心つく前に経験した記憶は、
皆様の人生において大きな意味を持ちます。

 

なぜなら、
そのコアの部分にこそ、
皆様が人生で「克服」する課題、
最も恐れるものが潜んでいるのです。

 

こう書くと、
人によって不公平があるようにも感じられます。

 

幸せな家庭に生まれ育った人と、
不幸な生い立ちを背負った人では、
カルマにも大きな差がつくのではないか、
という疑問が生まれます。

 

いろいろな考え方ができますが、
私はこう思います。

 

幸せな家庭に生まれ育った人は、
もしかすると、
その幸せを失うことを人一倍恐れるという

カルマを形成するかもしれません。

 

外からの観え方と、
その人自身が経験することには必ずギャップがあるものです。


そもそも、
他人と自分の経験する苦しみの大きさを比べることなど出来ない事なのです。

 

また、
こういった『幸・不幸』というラベルで測られるものは、
単に『起伏の大きさ』を表している、
とも言えます。

 

細かいことを挙げていけばキリがありませんが、
人生というものは、
俯瞰して、
トータルで見ないことには、
判断できないモノなのです。

 

そして、
トータルで見たならば、
誰のどんな人生も、
すべて正しいものだと言えるのです。

 

自我というものは、
自分を認識・定義するばかりでなく、
他者と自分を切り離し、
それを比較する、
という高度なことまでやってのけます。

 

その高い情報処理能力が、
『恐れ』
『悩み』
『苦しみ』
を生み出してしまうわけですが、
それらの『恐れ』『悩み』『苦しみ』、
その背景にあるカルマそのものも含て、
すべてが『自分』だと「受け容れてしまうしかない」のです。

 

物心がつき、
自我が形成された時点で、
皆様は皆様としての人生を生きる、
いう事を認めたということなのです。

 


だから、いま、
皆様はこうして生きているのです。

 

その皆様の存在が、
他人と比べてどうであるかなんてことは、
この世界の何者によっても判断できないことで、
ましてや、
皆様の未来がどうなるのか、
なんてことは、
誰にも決めつけられることではないのです。

 

それができるのは、
この世にたった一人、
皆様自身です。

カルマが人生の「内」にある、
というのはそういうこと。

 

人は誰であっても、
自分がどう在るか、
自分自身で決められるのです。


どう生きるか、
どういう存在となるのか、
を自分自身で決められるのです。

 

以上。

 


神鷹のコラムでした。
 

 

 

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