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執着

12.10.2018

潜在意識の事を勉強すると出てくるのが 、
『潜在意識には否定の概念がない』
という知識です。

 

 

例えば、
『今から、黄色くて丸いボ ールのことを考えないでください』と言われても、
頭にはどうしても黄色いボ ールのことが浮んでしまいます。


潜在意識というのは、
顕在意識のように高度な論理的思考は出来ず、
もっと純粋な記憶情報で出来ています。


それぞれに役割があるということです。

 

潜在意識は、
膨大な記憶情報のライブラリ、
そこに、
『意味のあるデ ータのつながり』である、
『知識』や 『ゲシュタルト』
が形成されているかいないかということが大事です。


顕在意識が言語能力、論理思考という
『翻訳』能力を発揮する際に、
情報のデータベースとしてアクセスするが 、
『潜在意識』というライブラリ(図書館 )です。


顕在意識がいかに高度な情報処理能力を持っていようと、
『思考 』の材料となる 
『知識』が無ければ、
人間としての真の 『創造力』は発揮されないということです 。

 

顕在意識は、
『願望 』という形でも思考を生み出します。

 

ですが、多くの場合、
それは『叶わない願望 』となります。


それはなぜでしょうか?


多くの場合、
『願望 』とは、
自分が『持っていない 』と感じるものを望むからです。


ここにジレンマがあります。


『豊かになりたい』、
『愛がほしい 』
と考える人は、
顕在意識レベルでは自覚していませんが、
潜在意識内の『知識』に、
『豊かさ』、『愛』というゲシュタルトが形成されていない人です。

 

ゲシュタルトとは、
『全体』としての構造をもった「知識」のことです。


『豊かさ』、『愛』のゲシュタルトとは、
その人にとって、
『豊かさ』、『愛』がどんなものであるのかを、
全体として把握 ・理解できた知識という意味になります。

 

多くの場合、
本当に 『豊かさ』 、『愛』を経験していないと、
意識内に 『豊かさ』や 『愛』のゲシュタルトを創ることはできません 。

 

ですが、
人間の前頭葉に宿る 『顕在意識』は、
他人の経験 (知識)を自分のものとして、
「イメージ」出来る非常に高度な 『創造(想像 )の力』を持っています。


イメ ージ力と言い換えても良いです。

 

本当の意味での 『豊かな人』、『愛に満ちた人』の心を理解できれば、
自分の意識の中にも、
『豊かさや愛のゲシュタルト』を、
「コピー」することが出来るのです。


ですが、多くの場合、
『豊かさ』、『愛』を知らない人は、
『豊かさ』や『愛』を未知のものとして恐れます。

 

これは、
潜在意識の仕組み上どうしようもないことです。


潜在意識は、
『自我 』というプログラムの一部でもあり、自我の習性は、
『苦痛からの回避』と『快楽の追求』の二種類です。

 

そして、この二つのうち、
『苦痛からの回避』の方が、
大きな 『動機』となるのです。


この場合の『苦痛 』とは、
知らないこと、
情報のないこと、
未知のことに対する『恐れ 』です 。

 

未知のものを恐れ、
それを避けようとしてしまうのは、
生命というものに共通する『本能 』

というプログラムに根差すものです。


これに、
顕在意識の力で対抗しても、
最初から敵うわけがないのです。


そして、
その『恐れ』は、
フォ ーカスを引きつけます。


『恐れ』とは、
生命にとって最も根源的な欲求、
 『安心 ・安全 』を脅かされると感じる感情です。


何よりも優先度 ・重要度が高いと判断され、

自動的にフォーカスが引きつけられるのです。

 

このフォーカスの引きつけのことを、
『執着 』と呼びます。


『執着 』が生まれると、
R A S という、
人間の脳に備えらられた
『認識のフィルター 』が、
その対象に関する情報をクローズアップして意識に届けます。


豊かさや愛を求める人の多くは、
『豊かさや愛に執着する人 』です。


その対象のことを、
本当に理解できないことから『執着 』は生まれます。

 

『豊かさ』も 『愛』も、
本当は、
『調和 』すれば「自然に流れ込んでくるモノ」です 。

 

ですが、
人間の『自我意識 』は、
自然との調和から自分自身を切り離し、
『分離』することによって、
『自分』というものを認識しています。


『分離』しなければ、
人間としての自分は存在しないのです。


 『分離』は同時に、
全体から切り離されることによる、
『不安』や 『恐れ』という、
根源的な『不快 』を生み出します。


人間が 『豊かさ』や 『愛』を求めるのは、
物心がつく前、
自然と調和していた頃に、
それを 『知っていた』という記憶があるからです。

 

ですが、多くの場合、
その生い立ちの中、
自我が形成されていくプロセスの中でその感覚を忘れてしまいます。


そして、
記憶の奥深くで、
『豊かさ』や 『愛』に対する 『憧れ』と同時に、
『それを失うことの恐怖』を生み出してしまうのです。

 

『執着 』とは、
その対象のことを本当に理解していないことによって生み出される、
『失うことへの恐怖 』と言い換えることも出来ます。

 

人間の自我意識は、
自分以外の他のものと分離して、
初めて『自分 』というものを「定義」出来るため、
自分が自分であるためには、
他者との『違い』を認識する必要があるのです。


『違い』とは、
他にあって自分にないモノ、
自分にあって他にないモノ
という意味です。

そして、
自我意識はこの『違い』に

余計な解釈のラベルを貼ってしまいます。


『優越感』や 『劣等感』、
『充足感』と 『欠乏感』といった、
二元的な感覚のことです。


これらは、
自然と調和している限り生まれない、
不自然な感情だと言うことです。

 

この『執着 』は、
『学ぶ』ことによって解消されます。

 

『学ぶ』とは、
理解を通してその対象と再び

一体化 ・調和していくプロセスと言えます。

 

まとめると、
望まない現実を創造する人は、
望まないことにフォ ーカスを向けているわけではなく、
望むモノについて本当に理解していないため、
恐れや不安のメンタルブロックを創り出し、
「執着」を生み出してしまっている。
ということです。

 

学びましょう。

 

以上。

 


神鷹のコラムでした。

 

 

 

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