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世界は人間の二重の態度において、二重である

17.09.2018

その二重の態度とは、

『我=汝(なんじ)』という態度と
『我=それ』という態度です。

 

どちらの態度になるかによって、
全く異なる世界を生み出すということです。

 

『汝』とは、
人として接する態度のことで、
『それ』とは、
モノとしての態度のことです。

 

相手を人として見るのか、
モノとして見るのかによって、
自分も同じように規定されてしまいます。

 

例えば、
ぬいぐるみを『我=それ』と見ている場合。


それは単なるモノでしかありませんが、
『我=汝(人)』という態度になるほど、
簡単に捨てることが出来ない、
大切なものになります。


そこには、
とても深い人間性があります。

 

もし、
会社で上司から怒られた場合、
その上司が、
自分のことを人として叱っているのか、
会社業務の一部としての『機能不全』として見ているのかで、
自分自身が『人』なのか

『モノ』なのかが規定されてしまいます。

 

これは、
一方が『モノ』的な見方をしたら、
お互いが『モノ』的な場になってしまいます。

 

自分自身が、
会社を給料をくれる場としての『モノ』として見ていて、
その会社の役割として上司を見た場合、
『我=それ(モノ)』としての場が設定されてしまいます。

 

それが、逆に自分もモノ扱いされてしまう原因かもしれません。

 

もちろん、
会社が最初から『部品』的な見方をしているのなら、
私達は『モノ』として扱われますから、
会社への感覚もモノ的になっていきます。

 

そこには、
人間性を奪われている悲しさがあります。

 

『モノ』的にみられ、
更に欠陥品的な見方をされることは、
とても大きな精神の破壊作用があります。

 

これだけ、モノに溢れた時代です。

 

『我=それ(モノ)』ではなく、
『我=汝(ひと)』

昔の人や日本の伝統文化は、
太陽に感謝し、
人に感謝し、
様々なものに感謝するという
ともて人間性に満ちた習慣がありました。


それが薄れてきた時代、
モノへの思い入れや、
人を機能や役割ではなく、
大切な一人の人として見ることで、
逆に、
自分もそう設定されてきます。

 

「人間的に扱われない。」と嘆く前に、

逆に自分が「人間的に見ているのか?」と

問う視点が必要です。

 

以上。

 


神鷹のコラムでした。

 

 

 

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