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自分本来のあり方とは?

19.08.2018

以前、
「『あり方』というものがぼんやりしていて分からない」
というご質問を頂きました。

 

なるほど、
『自分本来のあり方』
ってなかなか自分自身が

腑に落ちるようなものになっていくには、
時間が掛かるかもしれません。

 

ですが、
『どうありたいか?』というのは、
常に自分の中に必ずあるものです。

 

ビクトル・フランクルの

『夜と霧』という本があります。

 

第二次世界大戦でナチスが行った、
この近代においての最も深い

闇であり地獄だと言われる
『アウシュビッツ強制収容所』
を体験した心理学者が書いた本です。

 

収容所につくと、
いきなり労働力になるかどうかで選別され、
労働力にならない人はガス室で殺され、
生き残った人もまた、
ほんの少しの食べ物だけで
骨と皮だけになるほど働かされていく。


そんな状況が生々しく語られた本です。

 

全てを奪われ、
ボロきれのような衣服と

番号しか持たない収容者達。


個人というものをとことん剥奪された状況。

 

 

そんな中でもビクトル・フランクルはこう伝えています。

 

『人は強制収容所に人間をぶちこんで、
全てを奪うことができるが、
たった一つ、
あたえられた環境でいかにふるまうかという、
人間としての最後の自由だけは奪えない』

 

長い物には巻かれろ的に、
管理する側に愛想よくふるまう者。

 

仲間すら蹴落として、
ほんの少しの食べ物を独り占めしようとする者。

 

地獄を前に、
心を閉ざし、
心を失っていく者。

 

それでもなお、
優しい言葉や、
励ましの言葉を掛ける者。


病人に、自分のなけなしの食べ物を渡す者。

 

同じ環境、
最悪の状況下でも、
それぞれのふるまい方がありました。

 

環境には、
自分で選べない状況というものが

少なからず訪れます。


その中でどう振る舞うのかだけは、
誰にも奪えない自由です。

 

それが『あり方』の本質です。

 

どの『あり方』が正しいなんてことはありません。

 

ビクトル・フランクルも書いていますが、
正義感を貫く人ほどすぐに殺されました。

 

ただそのような人は、
死の瞬間『自分を自分として認められるか』を

大切にしていたということです。

 

『自分の終わりの時、
自分はどうありたいのか?』

現代もまた、
複雑な枠組みが作られた中で過ごしています。


目に見えない、
強制的な力によって縛られ、
窮屈に感じている人も多いと思います。

 

でも、
そこでどう振る舞うのか、
そこには必ず自分自身の

自由があるという事は事実です。


そして、
環境もまた本当はかなり自由に変えられます。

 

皆様の自由、
皆様のあり方、
皆様のライフワークを
輝かせて行きましょう。

 

以上。

 


神鷹のコラムでした。

 

 

 

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